チームが崩れかけた店舗を再建。ー任されたチーフの軌跡
チーフアイブロウリスト
矢作さん
目次
アナスタシア ミアレ チーフアイブロウリスト 矢作さん(仮名)
「〇〇店が大変なことになってるらしい」——。
そんな噂を、まだ会ったこともないはずの人たちからなぜか聞くようになったのは、矢作さんがチーフとして動きはじめた頃でした。
愛知から上京し、美容の道へ。配属先の新宿店で経験を積み、日比谷シャンテ店でチーフに。そこからほどなくして、欠員が重なり、現場が揺れていたA店(仮名)の立て直しを任されます。
「未知すぎて、謎の不安がのしかかっていました。会ったこともないスタッフのところに行って、チーフをやる。イメージが湧かない状況そのものが一番しんどかったです」
それでも矢作さんは、うまくいかないことが重なる中でも、現場に立ち続け、できることを一つずつ積み上げていきました。今回の記事では、矢作さんが短期間で信頼とチームを再構築していったリアルを、言葉のままに追っていきます。
「美容が好き」だけでは終われなかった。上京して選んだ“目元の仕事”
矢作さんの原点は、「美容が好き」という、ごく自然な感情でした。
一方で高校時代は部活に打ち込み、勉強に気持ちが向かなかったとも話します。種目は400m。「週末は朝5時に行って夜9時に帰る」ほどの“ガチコミット”な日々でした。
その熱量の矛先が、やがて美容へ向きます。中学生の頃からファッション誌を読むのが好きで、アイドルに憧れてメイクにも惹かれていった。自分の顔にコンプレックスがあったことも、目元への関心を強くしたといいます。進学先は美容学校。入ったのは美容師科(ヘアメイク・ヘアスタイリスト寄り)でしたが、「美容師になりたい気持ちは最初から強くなかった」と振り返ります。いったん学校を離れ、通信で美容師免許を取り直すという選択もしました。
「美容のこと好きだったはずなのに、嫌いになっちゃいそうで。一回やめました。でも、やっぱり美容は好きで」回り道に見えて、実は“自分が続けられる形”を探した時間。その延長線上に、アナスタシア ミアレとの出会いがありました。
きっかけは“見学”。「条件も悪くないし、まずはやってみよう」から始まった
アナスタシア ミアレを知ったのは、卒業の直前。先生に勧められて表参道店を見学し、施術の流れや1日のスケジュールを聞き、眉を少し描いてもらう体験もしたそうです。
入りますか?受けられますって聞かれて。じゃあ入っちゃうか、みたいな。結構ノリで
軽い決断に見えるかもしれません。けれど矢作さんが言う「ノリ」には、ずっと好きだった美容の一分野を “極めること” と “続けること” の両立ができそうだ、という深い納得がありました。福利厚生が明示されていたこと、まずは一度やってみようと思えたこと。大きなグループの安心感も背中を押したといいます。
アナスタシア ミアレの福利厚生や制度は以下の記事で詳しく紹介しています。
1年ちょっとで日比谷へ。チーフ打診は「不安すぎて、ヘルペスになりました」

新宿店でメンバーとして約1年半。そこから日比谷シャンテへ。さらにチーフへ。本人は「なりたいと言っていたわけではない」と話します。それでも周囲は、業務を覚える早さや正確さに手応えを感じていたようでした。
チーフの打診を受けたときの心境は、意外なほど生々しいものです。
やってもないのに不安すぎて。未知すぎて、謎の不安がのしかかって、ヘルペスになっちゃって
マネジメントの“教科書”を渡されたわけでもないし正解があるわけでもない。店舗の売上実績を把握すること、一緒に働くスタッフを気にかけること、店舗全体の状況を把握し判断すること。クレーム対応は責任をもって対応すること——。そんな背中を見ながら、自分なりに“チーフという役割”を掴んでいきました。
そして日比谷では、環境の違いに直面します。例えば、新宿店では予約確認を「日付・時間まで書いて毎回丸をつけてダブルチェック」。一方、日比谷は「丸バツ」管理で、取り漏れリスクが残る運用でした。
こっちの方が絶対間違いなくない?って。癖になればめんどくささもなくなる
既存のやり方にこだわらず、その時いちばんお客様にとって無理のない方法を選ぶ。矢作さんは、そうした判断を積み重ねていきました。
「〇〇店が大変なことになってるらしい」——噂が現実になった日
転機が訪れたのは9月でした。A店の体制が崩れ、チーフが体調不良で離脱。さらにメンバーも揺れ、矢作さんが入る頃には、すでに辞めることが決まっている人もいたといいます。結果として、ほぼゼロに近い状態からの再スタートになりました。
現場で起きていたのは、単なる人手不足ではありませんでした。
予約変更が続き、信頼が少しずつ削られていたこと。病欠が重なり、「またですか」と言われる空気ができていたこと。少ないスタッフ数で運営することで、お客様にも現場にも負荷がかかっていたこと。
今までの積み重ねで、この人には電話できないね、っていうのもあって。本当に大変でした
だからこそ、最初に向き合ったのは売上ではなく、もっと手前の部分でした。
立て直しの第一歩は「働くための土台づくり」——掃除と整理整頓から始めた理由
A店の話になると、矢作さんは自然と「掃除」の話をします。
床は拭いても汚れが出てくる。物が多すぎて、休憩スペースに座れない。棚には物が溢れ、本来の役割を果たしていませんでした。
気持ちよく働くための土台が、一番崩れていたんです
いらないものは本社へ戻す。捨てる判断は確認を取りながら進める。不燃ごみや粗大ごみも含めて整理する。派手な施策ではありませんが、半年ほどかけて、少しずつ「働ける環境」を取り戻していきました。
並行して、運用の見直しも進めます。新宿店で徹底されていた予約管理の方法を取り入れ、リスクを減らす形へ。同じタイミングでA店に合流した、かつて一緒に働いていた田中さんとの共通認識が、この局面では大きな支えになりました。
田中さんについては以下の記事で詳しく紹介しているので、ぜひ併せてチェックしてみてください。
休憩をずらしてでも「今日中に終わらせたい」——それでも目指したのは“持続するチーム”

当時、ヘルプも入る中で現場は逼迫していました。誰かが休むと、予約を動かす判断が必要になる。けれど矢作さんは、できる限り“謝る回数”を増やしたくないという気持ちが強かったと語ります。
アナスタシア ミアレを選んでくださったお客様に申し訳なさすぎて。ちょっと時間ずらすぐらいでご案内できるなら、そうしたい
その結果として、休憩をずらして乗り切った日もある。ただ、矢作さんが語るのは根性論ではありません。むしろ最終的に目指していたのは、「自分がいなくても回る状態」です。
自分でやった方が早いって思っちゃう性格。でも、毎日いるわけじゃないから。誰かに任せないと、いつかパンクする
だから“振る量”を増やし、理由から教える。やり方だけで終わらせず、「なぜそれが必要か」を言葉にして共有する。A店の立て直しは、現場の整備と同時に“育成の再起動”でもありました。
新卒2人が加わり、5人体制へ。立て直しが実感として返ってくる瞬間
A店は少しずつ人数が戻り、現在は5人体制になりました。ただ、人が増えれば楽になるわけではありません。新卒が2人同時に入ることで、教育にかかる時間は増えます。どこまで教えて、どこから考えさせるのか。休日の連絡対応をどう捉えるか。「何でも聞けばいい」でも、「放っておく」でもない、その線引きに悩んだと正直に話します。
それでも半年が経ち、「やっと落ち着いた」と感じられるようになりました。予約枠が増え、お客様から「取りやすくなったね」と言われる機会も増えた。立て直しが、数字ではなく実感として返ってくる瞬間でした。
振り返ってみて、「特別なことをした感覚はない」と矢作さんは言います。欠員が出れば現場に立ち、環境が整っていなければ片づける。やり方に違和感があれば、理由を伝えながら揃えていく。やってきたのは、その繰り返しでした。
チームでの仕事が、大きな成果を生む

A店の立て直しを通して見えてきたのは、アナスタシア ミアレの仕事が、技術や数字だけで完結するものではないということでした。目の前のお客様にきちんと向き合い、その日の状況や店舗の状態を見ながら無理のない形を選び続ける。その一つひとつは決して派手なものではありませんが、そうした判断の積み重ねが、結果としてお客様からの信頼や店舗の安定につながっていきます。
「自分がいなくても回る状態をつくりたい」。矢作さんがそう考えながら現場に立ち続けてきた背景には、次に入ってくる誰かが、同じことで悩まなくて済むように、という思いがありました。自分のためだけではなく、その先の人の働きやすさまで見据えて行動する姿勢が、日々の選択の軸になっていたのです。
現場の中で経験を重ねるうちに、少しずつ任されることが増えていき、その先でどんな役割を担うかは最初から決まっているわけではありません。ただ共通しているのは、お客様に向き合う姿勢が、すべての起点になっているということです。
もしあなたが、一人ひとりのお客様と丁寧に向き合う仕事を続けていきたいと考えているなら——アナスタシア ミアレでのキャリアは、きっとその選択肢の一つになるはずです。